FAIT-MAIN フェ・マン

ブノワ・トゥケ(レアムのワインメーカー)自身のブランド。「フェ・マン」はフランス語で手造りの意味。ナパカベを手造りで仕上げる。

Fait-Main フェ・マン

ブノワ・トゥケ(フランス出身)は無名であったレアム・セラーズをパーカー100 点連発のワイナリーに仕立てあげた立役者であり現在ナパ・ヴァレーの注目株。「人から渡されたものでなく、自分自身の手で一から造りたい。自分を極限まで追い込み、そこから初めて自分の本当の実力がわかる。そんなワインを「手造り」したい。」とブノワは語る。家族経営で、アシスタント・ワインメーカーもなく、営業担当者もいない。まさ自分自身と、家族、最小限のスタッフのみの「手造り」で造られる。フェ・マンのラベルにはブノワの出身地フランス・リオンの紋章が描かれている。自分自身の出自を明らかにし、ナパ・ヴァレーの出自をはっきりとさせたワインを造りたい思いから選ばれた。

ブノワがフェ・マンについて語る。

「人から渡されたものでなく、自分自身の手で一から造りたい。自分を極限まで追い込み、そこから初めて自分の本当の実力がわかる。

そんなワインを「手造り」したいとフェ・マンを始めました。 何かピンとくるものがあると、(例えば素晴らしい畑、魅力的な人、適切なタイミング)それがどんなにリスキーでも、ワイナリーで 眠れない夜が続くことになっても、チャレンジしてしまいます。

ワイン造りはライフスタイルのひとつという人もいるでしょうが、私にとってワイン造りは私の全てで、私の活力源です。家にいても、 ワイナリー、葡萄畑、将来的な可能性のことを考えてしまい、ゆっくり休むことができません。 フェ・マンは、そんな私の性格から生まれたワインです。 ワイン造りにおいては小さな決断の積み重ねが「良いワイン」と「偉大なワイン」の差になります。

様々な決断 ~ 灌漑の量やタイミ ング、剪定の時期や程度、熱波が来た時の栽培管理、適切な収穫のタイミング、醸造やブレンドの割合など細部に至るまで正確さを 追求することで、私のビジョンと感性を反映したワインを造ることができると信じています。 フェ・マンは私が関わるワイン・プロジェクトの中でも最も小さく、家族経営で、アシスタント・ワインメーカーもなく、営業担当 者もいない。まさに私自身と、家族、最小限のスタッフのみの「手造り」で造られています。」

フェ・マンのラベル

「私の出身地であるフランス・リオンの紋章が描かれています。

ワインをテイスティングする時、その出自(どの畑で、どんなテロワールで、誰が栽培し、誰が造ったか)がとても重要であるように、人においても同じことが当てはまると考えます。

フェ・マンのボトルには私自身がどこで生まれ、どこで育ち、私の根幹には何があるかを表したいと思っています。

18 歳まで食の都リオンで育ち、ブルゴーニュやローヌにも近く、また子供のころから母の故郷であるボルドーを休暇毎に訪れていました。

大学はボルドーに進み、卒業後もシャトー・クーアン・リュルトン等で働きながら28 歳までボルドーで過ごしました。

その様な私の出自(フランス)を表すラベル・デザインを選びました。」

Benoit Touquette ブノワ・トゥケ

子供の頃は戦闘機のパイロットかエンジニアを目指していた。

しかし、学費を稼ぐために移動式のボトリングラインで働いていた時に出会った、ワインメーカー達の情熱に圧倒されワイン造りへと針路変更。

ボルドー大学で醸造と化学で修士号を取得。

ボルドーでミッシェル・ロランの元で働いた後、カリフォルニアに派遣され、アンディ・エリクソンの元、ファヴィア、ハートウェル、オーヴィッド、スクリーミング・イーグル等、数々の伝説的なワインの醸造に関わる。

米国のワイン造りの自由さに感銘し定住。

2011 年にレアムのワインメーカーに就任。

2012 年ヴィンテージでパーカー100 点を2 種類、2013 年ヴィンテージでも3 種類のワインで獲得した。

現在トータルで13 回の100 点を獲得。無名だったワイナリーを100 点ゲッターに引き上げた、手腕が高く評価されコンサルティングも増え、今後の動向から目が離せない。

ブノワは優しいながら情熱溢れる人柄が多くの人を魅了する。

米国人の奥様と結婚。ご子息が誕生。(2021/11/28)