アゴストン・ハラジーの息子アーパット・ハラジーについて—Under the Wireを造るクリス・コトレルの考察
モーガン・ピーターソンと共同オーナーのクリス・コトレルが造るこだわりのカリフォルニア・スパークリング「アンダー・ザ・ワイヤー」では、 ベッドロック・ヴィンヤードのジンファンデルから、スパークリング・ワインを造ります。そのワインを語る際に、しばしば言及するアーパッド・ハラジーについて、クリスがおもしろい考察をニュースレターで発信していますので、改めてご紹介します。
アーパッド・ハラジーの父、アゴストン・ハラジーは1850年代にソノマへ移住し、Buena Vista Wineryを設立、ヨーロッパから多数のブドウ品種を導入し、カリフォルニアでの近代的な栽培・醸造技術の普及に大きな影響を与えた人物。アーパッドはカリフォルニアにおけるスパークリングワイン造りの草分け。フランスでシャンパーニュ製法を学び、帰国して彼が手掛けたEclipseは19世紀を代表するカリフォルニア・スパークリングの一つ。ジンファンデルをその原料として高く評価していた。
以下、クリス・コトレルのニュースレターより
なお文章内の小題は筆者が加筆しています。

中央がアーパッド・ハラジー。画像はブライアン・マギンティ著「A Toast to Eclipse」より
「ワインは、適切に選び、適切に飲めば、単なる刺激物ではない。食事を助けるもの、いや、栄養に近いものだと言ってもいい。飲むべきではあるが、決してがぶ飲みしてはいけない。目を楽しませ、嗅覚を喜ばせ、舌に味わいを与え、喉の渇きを癒し、そして頭を痛めてはならない。この条件を満たさないのであれば、水を飲んだほうがいい。」― アーパッド・ハラジー
アーパッド・ハラジー。以前にも彼について触れたことがあるが、カリフォルニアワインに与えた彼の影響と、今なお続くその重要性について、もっと深く掘り下げる価値があると思う。
1860年代に成人したアーパッドは、伝説的なワインメーカーである父アゴストンの影響を大きく受けて育った。やがて父に負けず劣らず成功し、ワイン業界で確かな存在感を示す人物となった。フランスで工学を学び、シャンパーニュでワイン造りを学び、カリフォルニアへ戻る。そして、父が礎を築いたワイナリー、Buena Vistaでセラーマスターとして働いた。最終的には、当時シャンパーニュ以外で最も高く評価されたスパークリングワイン、「Eclipse」を生み出すことになる。
彼が造ったこの名高いワインは世界中へと送り出された。日本、オーストラリア、中米、タヒチ、ロンドン、シカゴ、そしてもちろんニューヨークへ。
その一方で彼は、州のブドウ栽培委員会(Board of State Viticultural Commissioners)の初代会長を務め、California State Viticultural Societyの会長にもなり、さらにBohemian Clubの初期の会長の一人でもあった。ヴァレーホ将軍の娘と結婚し、19世紀カリフォルニアにおける最初期の「パワーカップル」となった。
話好きで、引用したくなるような言葉を次々と繰り出す人物だった。メディアはそんな彼と、彼が生み出した画期的なワインを愛した。ある意味では、19世紀のランダル・グラハム(ボニー・ドゥーンの創業者)とでも言える人物だったのかもしれない。
最近、ブライアン・マギンティ著『A Toast to Eclipse』を読み返した。19世紀のカリフォルニアワインの世界を覗いてみたい人には、信じられないほど面白い本である。
そして読み進めるうちに、アーパッドの物語と、今まさに私とモーガンが歩んでいる道と笑ってしまうほど似たところがいくつかあることに気づいた。

父と息子
まず一つ目は、ワインメーカーである父と息子の理想的な関係だ。ゴットファーザーであるアゴストンとジョエル、そしてその次世代を担うアーパッドとモーガン。父たちが築いたものを受け継ぎ、さらに磨きをかけている。
※筆者注:ジョエルはモーガンの父。レーヴェンスウッドの創設者。別名”ジンファンデルのゴッドファーザー”。
アーパッドに「consigliere(コンシリエーレ=側近、参謀)」と呼べる親友兼ビジネスパートナーがいたのかどうかは分からない。だが、もし彼にもそんな相棒がいたのなら、その髭も、きっと僕の髭と同じくらいスタイリッシュに整えられていたに違いない。
また、アゴストンはスパークリングワイン事業に対して懐疑的だったと言われている。これも面白い話で、ジョエルも冗談めかして「モーガンを泡で破産させるぞ」と言っていたくらいだ。
アゴストンはアーパッドが名声を得ていく姿を見ることはできなかったが(幸い、ジョエルは今のところ中米でワニに食べられてはいない)、ジョエルは飲み手としてすっかりアンダー・ザ・ワイヤーを気に入っている。
※筆者注:アゴストンはニカラグアの川で行方不明になった。川に落ちて海に流されたのか、それともその地域に生息するワニに引きずり込まれたのかは判明していない。
品質至上主義
アーパッドはモーガンと僕と同じように、ブドウの品質とワイン造りこそが、長期的な成功にとって最も重要な基準であると信じていた。
彼は訪問者たちに誇らしげにワインについて教え、「pure wine(純粋なワイン)」というカテゴリーの美徳を熱心に説いた。そこでは化学物質、人工的な炭酸添加、着色料、そして植物由来のジュースなどの使用が禁止されていた。つまり、今のナチュラルワインの世界にいても、彼なら何の違和感もなく馴染んでいたはずだ。


当時、最も影響力のあるワイン評論家の一人だったベンジャミン・カミングス・トルーマンは、エクリプスのセラーを訪れた際、ワインについてこう評した。「豊かな味わいがあり、フランスのシャンパーニュのように、コニャックを加える必要がない。」ほどだったという。
さらに彼は、少量のエッセンスなどを加えることもしていなかった、と記している。なぜなら、その自然な風味があまりにも美味しく、人工的に味を補ったり、強調したりする必要がなかったからだ。
そして彼の報告によれば、最大100万本ものスパークリングワインがセラーに保管されていた。100万本だ。Fucking million bottles!


過酷な土地もいとわない情熱
アーパッドはまた、当時としてはかなり過酷な立地でワインを造ることにも惹かれていた。彼はこう言っている。「最高のワインは、ヤギでさえ餓死してしまうような山の斜面で造ることができる。」
この点については、僕らには少し違いがあると言わざるを得ない。アルダー・スプリングスは確かに険しい山の斜面にある。だが、そこにいるクマたちは飢えて死ぬどころか、熟していく美味しいヴィオニエを楽しんでいる。
「Champagne」と名乗らない
アーパッドのラベルには、「Champagne」という言葉が一度も使われなかった。当時のカリフォルニア産スパークリングワインでは、それを使うのが一般的だったにもかかわらずだ。(シャンパーニュという名称を保護する国際的な取り決めができる、はるか以前のこと。)
私たちも同じように、「ブラン・ド・ブラン」や「ブラン・ド・ノワール」という言葉は使わず、そのワインを生んだブドウ品種の名前で呼ぶことを選んでいる。
ジンファンデルでスパークリングワイン
父アゴストンと同じく、アーパッドはジンファンデルも好んでいた。実際、1869年の『デイリー・アルタ』紙は、アーパッドがジンファンデルをスパークリングワインに最適なブドウ品種だと考えていたと報じている。
もちろん僕たちはピノ・ノワールとシャルドネにもそれぞれの良さがあると思っている。だが、ベッドロック・ヴィンヤードに1888年に植えられたジンファンデルから造るスパークリングワインが、僕たちは大好きだ。
スパークリングワインビジネスの難しさ
そして、おそらく最も強烈に共感できるのが、スパークリングワインとワインビジネスが抱える経済的な難しさである。
アーパッドは、需要の高まりを受けて1,000エーカーの畑にブドウが植えられていくのを見届けるほど長く生きた。だがその1,000エーカー分と、さらに何千エーカー分ものブドウが、結局は引き抜かれ、あるいは放棄されていくのも見てきた。
今まさに、何エーカー分ものブドウの樹が引き抜かれ、見慣れた景観が変わっていくのを目にしている私たちには、それがどんなものだったのか、少し分かる気がする。
禁酒運動と”ネオ禁酒主義”
さらに、アーパッドの時代に始まった禁酒運動(temperance movement)をそこに重ねると、僕たちの時代に台頭しているネオ禁酒主義(neo-prohibitionist)の流れとも重なってくる。
ブライアン・マギンティの本から引用しよう。
「19世紀初頭、蒸留酒の過剰摂取に対する正義の反応として生まれた禁酒運動は、徐々にブドウを発酵させた飲料もその標的に含めるようになった。ワインは伝統的に禁酒を助けるもの――適度な量を節度を持って飲めば、酩酊の問題を悪化させるどころか、むしろ抑える穏やかな飲み物――として称賛されてきた。しかし禁酒運動の活動家たちは、あらゆるアルコールを社会的・道徳的な災厄とみなすようになった。」
なんだか、今日の「アルコール摂取と健康」に対する変化し続ける世論と、かなりよく似ている。
泡にはボトル、労働力、そして時間が必要だ
また今と同じように、スパークリングワインはスティルワインよりもかなり製造コストが高かった。ボトル、労働力、時間といった、ワイン造りの基本的な部分にコストがかかるからだ。
ハラジーの時代には、手吹きガラスのボトルに構造上のばらつきがあったため、リリース前に12~20%のボトルが破裂すると報告されていた。
ありがたいことに、200年にわたる技術革新によって、この問題は完全に解消された。……まあ、不適切なサーベリングを除けば。

アーパッドの旅から何を学ぶか
では、アーパッドの旅から僕たちは何を学べるだろうか。彼は、どれだけ危機的な状況になっても、決して事業を潰さなかった。苦しい時代もあった。景気のいい時代もあった。
しかし最終的には、私たちと同じように、カリフォルニアの畑とカリフォルニアワインを強く信じていた。だからこそ、自らの人生をそこに賭けたのだ。
フランス人が認めたEclipse
最後に、Eclipseがどれほど素晴らしいワインだったのかを物語る、僕のお気に入りの言葉の一つを紹介しよう。1893年、フランスの農業委員がこう言った。「ここで造られたシャンパーニュは、なかなか良いものだと認めざるを得ない。」
フランス人からカリフォルニアの泡に対してこれほどの賛辞が贈られるとは!
僕なりに現代風に翻訳するなら、こうなる。
「Damn, the Californians are crushing the sparkling wine game, and we better take notice.」
つまり、「なんてこった、カリフォルニアの奴ら、スパークリングワインでめちゃくちゃやりやがってる。こっちも本気出さないと」ということだ。
Cheers!
Chris & Morgan