TONELLA CELLARS トネラ・セラーズ

ラザフォード西側銘醸畑の中で4世代100年に渡り引き継がれてきた珠玉の畑から4代目のスティーヴ・トネラが造る希少なワイン

Rutherford, Napa Valley

Tonella Cellars トネラ・セラーズ

スティーヴ・トネラは2010年からワイン造りを始めたが、その畑は100年以上前に彼の大叔父であるジョゼフ・ポンティが1906年に移民し、ボーリュー・ヴィンヤードで最初のワインメーカーを務めた時から続いている。スティーヴの祖父、ルイ・トネラがその畑を引き継ぎ、イングルヌックやスケアクロウに隣接する0.4ヘクタールの宝石のような区画が現存。この畑では、100年間にわたりVertical Cordon trained style(コルドンから垂直に伸ばして両側に枝を伸ばし添え木を使わない仕立て)を維持しているが、近年この仕立ては見直され、その優位性が認められプレミアム・ワイナリーでも採用されいる。カベルネ・ソーヴィニヨンはこの自社畑から、他は同じラザフォードやナパ・ヴァレー各地の畑を厳選して造る。

J.J. ポンティ・ヴィンヤード/ J.J. Ponti Vineyard

1906年サンフランシスコ大地震の後、イタリアからサンフランシスコの再建の為に移住してきたジョセフ・ポンティが全ての始まりとなった。ポンティはラザフォードの象徴的なボーリュー・ヴィンヤードの初期のワインメーカーとなり、43年間勤め上げた。彼は1939年ゴールデンゲート国際博覧会で、1936ヴィンテージのボーリュー・ヴィンヤード・カベルネ・ソーヴィニヨンを金賞に導き、ラザフォードとナパ・ヴァレーの代名詞の礎とした。

ポンティの甥であるルイ・トネラは、わずか17歳で叔父ジョゼフを頼りボーリューに入社し共に働き、ジョゼフが引退する時、ラザフォードにある貴重な葡萄畑「J.J. ポンティ・ヴィンヤード/ J.J. Ponti Vineyard」を受け継ぎ、その畑は今日まで4世代100年に渡って引き継がれている。その畑は初期から今までボーリュー、ロバート・モンダヴィ、レイモンドなどが使う高品質な畑として認知されている。

この畑ではVertical Cordon trained style/コルドンを垂直に伸ばして両側に枝を伸ばし添え木を使わない仕立てを100年続けてきている。近年この仕立ては多くのプレミアム・ワイナリーでも試され、その優位性(枝葉が葡萄の房を覆い直射日光を避けることができる)が認めら始めている。過去を見直し、近年の温暖化による強い日差しに対応する動きが検討されている。

ジョセフ・ポンティ/ Joseph Ponti,

Vertical Cordon trained styleで仕立てられる畑

スティーヴ・トネラ/ Steve Tonella

現在のオーナーは初代のジョゼフから4代目に当たるスティーヴ・トネラ。2代目ルイ・トネラが祖父に当たり、3代目の父がJ.J. ポンティ・トネラ・ヴィンヤードを栽培農家として現在まで引き継いだ。スティーブは幼い頃、父や祖父と一緒に畑を手伝いナパの暑い日差しを浴びながら、畑の作業を手伝い、3輪バイクで走り回った記憶が今でも心の奥底に残っている。
成長し大学はカルポリ・サン・ルイ・オビスポ校で経営学の学位を取得、卒業後はワイン産業とは違うハイテク業界に入り、セールス・リーダーとして世界中を飛び回る。
イタリア語とスペイン語に堪能で、イタリア・ローマとスペイン・バルセロナに住み、イギリスと日本にも滞在したことがある。 3つの大陸を渡り歩いた後、やはり戻るべきはラザフォードであり、この珠玉の畑から自分自身のカベルネ・ソーヴィニヨンを造る夢をついに2010年から実現させている。
ワイン造りはまだ10年に満たないがこの地は幼い頃からご近所付き合いをする良く知り尽くした人々が集まる。スティーブは、ワイン造りと共にラザフォードの発展の為に「ラザフォード・ダスト・ソサイエティ」の社長や重役も務め、地域の為にも尽力し、様々なPR活動にも積極的に関わっている。

スティーヴ・トネラ/ Steve Tonella

畑情報

J.J ポンティ-トネラ・ヴィンヤード/ J.J. Ponti-Tonella Vineyard

ラザフォードAVA、ナパの中心を走る国道29号線の西側マヤカマス山に続くなだらかな斜面にイングルヌック、スケアクロウ、ジョルジュ・ド・ラトゥールなルなど銘醸畑が集結する中にわずか0.4haの宝石のような区画があり、昔ながらの仕立てで個性ある葡萄を栽培し続けている。